護国寺と音羽通り:護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院が天和元年(1681年)に建立した。のち将軍家の祈願寺となり、供揃1000人以上で度々参詣したので、将軍御成道として音羽通りは整備された。幕府は音羽町の地番を、桂昌院の生地である京都の一より九丁目とした。また、当時江戸市中いずれの町も城を中心に1丁目を置くならいだったが、音羽町だけは護国寺側を1丁目とした。そこに幕府の配慮がうかがえる。歴史と文化の散歩道より 護国寺仁王門を出て正面の音羽通りを進むと徒歩約10分で左手に鳩山会館の入口が見える。