江戸時代には箱根山周辺は13万坪を上回る尾張徳川家の下屋敷があり、和風庭園の中には東海道53次小田原宿に描かれた景色を模した町並みまで造られたと言われる。明治に入り陸軍戸山学校用地に指定され終戦までは軍用地として使用された。 この地にある石碑には、明治7年に陸軍戸山学校が発足し、その後70年にわたって軍事の研究教育が行われたと記されている。