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人形町
D谷崎潤一郎生誕の地




甘酒横町より甘酒横町交差点まで戻り、人形町通りを越えて進むと右手に谷崎潤一郎生誕の地がある。

谷崎潤一郎生誕の地

谷崎潤一郎は(1886−1965)は明治19年7月24日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。

同25年、阪本尋常高等小学校に入学しました。その後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。若くして文筆にすぐれ、東京帝国大学国文科を家庭の事情で中退したのち、第二次「新思潮」の同人となり、「刺青」「少年」など耽美と背徳の世界を華麗に描いて、文芸界で名を成しました。

のち、日本的な伝統美に傾倒し、「蓼食う虫」「春琴抄」「細雪」、「少将滋幹の母」などを遺しています。その間、昭和12年、芸術院会員に推され、同24年には文化勲章を受章しました。

中央区教育委員会。

人形町から日本橋川を渡って茅場町に行く鎧橋のたもとに谷崎潤一郎の「幼少時代」が引用されている。

「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れをみつめていると、この橋が動いているように見える。−−−−私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ってものである。−−−対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景がのように日本離れした空気をただよわせている。」

現在でも日本橋川周辺を歩くと当時のこの周辺の商売の隆盛が偲ばれる大きな建物がいくつも残っている。


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