有楽町線桜田門駅の3番出口を出ると目の前が皇居の桜田門になる。桜田門は敵の侵入を遅らせる為に写真の左手から入り、直角に右手に曲がって次の門をくぐって城内に入る枡形門で現在でもその形をとどめている貴重なもの。参考:赤坂見附門跡、
安政の大獄と桜田門外の変:
井伊直弼は孝明天皇の勅許を待たずに日米修好通商条約締結を決めたことに対し反発した前水戸藩主、水戸藩主を含め多数の藩主の蟄居・謹慎処分を行った(安政の大獄)。これに怒った水戸浪士は井伊直弼の暗殺を計画、安政7年に桜田門外で実行した(桜田門外の変)。その際に籠の中にいた井伊直弼を撃ち、身動き出来なくした拳銃は水戸藩に伝わる由緒あるものであったことから、水戸藩主がこの件に関し深く関わっていたのではないかと伝えられる。
井伊直弼は度重なる暗殺計画の知らせを受けており、当日も危うさを知らせる書面を受け取りながらも井伊家上屋敷(現在の国会前庭一帯)より60人の警護に守られて出て、わずか五百メートル先にある桜田門に入る手前で水戸浪士に襲撃、暗殺された。
桜田門が開いている場合は、この門をくぐると二重橋に一番近い。日比谷へは皇居を左手に見て内堀通りを進む。
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