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築地-隅田川テラス-永代橋
C聖路加病院



勝鬨橋の袂より隅田川テラスを進むとすぐに聖路加タワーへの階段になる。この階段を上ると左手に米国公使館跡を示すプレートがある。トイスラー記念館慶応義塾の起源・蘭学事始の碑米国公使館跡、シーボルトの像

現在聖路加病院のある場所に屋敷を持っていた中津藩が蘭学を奨励したことから、中津藩の医師であった前野良沢によりオランダ解剖書がこの地で読まれ、中津藩士であった福沢諭吉により慶応義塾の起源となる蘭学塾がこの地で開かれた。

明治に入ってからは江戸における外国人居留地が船便の良い当地に決められた為に多くの公使館・領事館が造られ、公使・領事達と来日したキリスト教団により学校が創立された。聖路加看護学校、立教学院、明治学院、女子学院などの多くのミッションスクールの発祥の地になった。

築地の歴史
築地は1657年の明暦の大火以降埋め立てられました。この時に本願寺が浅草横山町から移って東都の信仰を集めました。かつての南小田原1丁目(現在の築地六丁目付近)は幕府の軍艦操練所があった所で、明治に入ってからは官軍造兵廠が置かれ、築地五丁目に海軍兵学寮、海軍大学校、海軍水路局など海軍関係の諸施設が集中しました。また、震災後、魚河岸が移り、賑わいを見せています。隅田川テラス掲示内容より


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