縁起
東叡山寛永寺
元和八年(1622)、徳川幕府二代将軍秀忠が、上野の地を天台宗の僧天海に寄進したことから、寛永寺の歴史は始ります。本坊は寛永二年(1625)に竣工。根本中堂の完成は元禄十一年(1698)のことです。江戸末期までの寛永寺は、いまの上野公園をはじめ、その周辺にも堂塔伽藍や子院が立ち並ぶ文字通りの巨刹であり、徳川将軍家ゆかりの寺にふさわしい威容を誇っていました。明治維新の際の上野戦争で大半が炎上し、その後明治政府の命令で境内も大幅に縮小され(約三万坪、江戸時代の十分の一ほど)現在に至っています。(寛永寺掲示より)
同じ地域:上野寛永寺(篤姫墓所)、上野公園、アメヤ横丁、上野公園さくら並木、上野−谷中−千駄木、上野公園−湯島、上野広小路−上野、
|