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丸の内2、地下出口と高層ビル
I三菱1号館




「三菱が夢見た美術館」資料より、

土佐藩の海運業を任された岩崎彌太郎(1835−1885)は、明治維新後に三菱を興しました。1890(明治23)年、第二代社長岩崎彌之助は丸の内の土地を取得、お雇い外国人の英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852−1920)に煉瓦造りの事務所を設計させ、1894(明治27)年、三菱一号館が完成します。同じ頃、三菱には丸の内に美術館や劇場を作る計画があり、コンドルは「丸の内美術館計画」と銘打った図面を残しています。明治期の美術館設立計画は実現しませんでしたが、それから一世紀、丸の内には三菱一号館美術館が誕生しました。

J.コンドルが設計した代表的建築物
上野博物館、鹿鳴館、ニコライ堂三菱一・二・三号館旧岩崎邸庭園、三菱関東閣、岩崎弥之助湯本別邸、三井倶楽部、清泉女子大学本館、旧古河庭園

コンドル門下の建築家
辰野金吾(東京駅日本銀行本店国技館)
片山東熊(赤坂離宮、奈良・京都帝室博物)
曾禰達蔵(慶応大学図書館、東京海上ビル)
佐立七次郎(日本郵船小樽支店)
渡辺謙(帝国ホテル、前田侯爵邸


丸の内パークビルや三菱一号館、三菱一号館美術館へ行く為に東京駅から地下連絡通路を利用する場合は、丸の内中央口から丸ビル・新丸ビルへ、ここから京葉線へ通じる地下連絡通路に入ると右手に丸の内パークビルへの入口が新たに造られた。

参考大手町・八重洲・丸の内・有楽町・日比谷・銀座地下連絡通路全体図無料巡回バス丸の内各乗り場

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