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浜松町、旧芝離宮恩賜庭園

A旧芝離宮恩賜庭園入口


旧芝離宮恩賜庭園の由来

延宝6年(1678年)、徳川将軍家から埋立地であったこの地を拝領した老中大久保加賀守忠朝はここに屋敷を造り、作庭を始めました。庭は貞享3年(1686年)までに完成し、「楽寿園」と命名されました。これが本庭園の起源です。

「楽寿園」は典型的な回遊式庭園で、園景の中心には江戸の水辺庭園特有の潮入の池があり、干満によって景色が変化するよう工夫されていました。池泉の中央部には中国杭州の西湖堤を模した堤や、蓬莱山を表した中島など中国の趣きを取り入れ、築山のうえから白帆の行きかう沖合いの海の展望にも意を注ぐつくりでした。その後大久保氏より数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、さらに有栖川宮家を経て宮内省が買い上げて明治9年「芝離宮」となりました。

庭園内掲示より

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