この地は元禄4年、当時下野国足利2万石の領主であった本庄因幡守宗資が幕府から拝領して下屋敷を構え、以後代々本庄家に引き継がれてきたものである。庭園は宗資の築造と言われ、隅田川の水を導いた潮入り回遊式庭園で、規模は小さいが江戸名園の一つに数えられていた。 明治維新後に一時、旧備前国岡山藩主池田章政の邸地となり、更に明治24年、安田善次郎の所有となった。善次郎の没後、その遺志によって大正11年東京市に寄付され、一般に開放されることになった。(園内掲示より)