回向院の入口より京葉道路を進むとすぐに隅田川に架かる両国橋に出る。
両国橋の名前の由来は隅田川を挟んで、両国駅側の下総国と浅草橋側の武蔵の国の二つの国に跨った橋から来ている。江戸幕府は明暦の大火で江戸の中心部の被害が大きかったことから、火災が広がらない隅田川の対岸に新たに街づくりを進め、その結果現在の両国・門前仲町周辺が大きく発展したと言われる。
関東大震災における被害は強風に煽られた火災でこの周辺は特に甚大で、本所陸軍被服廠(国技館近くの現在の横網町公園)では多数の被害者が出て、火災を逃れるために隅田川に飛び込んだ人々も数多くいたという。
関東大震災復興事業の主なものは100M道路整備(内堀通り、靖国通り、昭和通り)、延焼を防ぐ区画整備、避難地区として公園の造成(隅田公園、浜町公園、錦糸公園)、卸売市場日本橋より築地への移転、鋼鉄製橋の架橋(相生橋、永代橋、清洲橋、両国橋、蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋の隅田川の架橋他、聖橋など多数が建設された)、鉄筋コンクリートの小学校、上下水道・ガスの整備、路面電車の整備など。
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