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水天宮前駅周辺、水天宮
C手水場


江戸時代の水天宮は藩邸内に在った為、庶民は普段参拝できず門外より賽銭を投げ参拝したと言います。ただし、毎月五日の縁日に限り殿様の特別の計らいにより藩邸が解放され参拝を許されました。その当時ご参拝の妊婦の方が鈴乃緒(鈴を鳴らす晒しの鈴紐)のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから人づてにこの御利益が広まりました。その当時の水天宮の賑わいを現す流行り言葉に”なさけありまの水天宮”という洒落言葉があった程です。

明治維新により藩邸が接収され有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治五年十一月一日現在の蛎殻町に御鎮座致しました。関東大震災では神社も被災しましたが、御神体は隅田川に架かる「新大橋」に避難し難を逃れました。その後御復興も相成り、昭和五年に流れ造りの社殿が完成、時移り昭和四十二年現在の権現造りの社殿となりました。
(水天宮掲示の2)

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