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神楽坂-飯田橋

A赤城神社


早稲田通りより左手奥を見ると赤城神社の鳥居が見える。

赤城神社
後伏見帝の正安二年九月、上野国赤城山なる赤城神社の分霊を今の早稲田鶴巻町の森中に小祠を勧請。其後百六十餘年を経て寛政元年太田道灌持資が牛込毫へ遷座。其後大胡宮内小輔重行が神威を尊び今の地に、初めて「赤城大明神」と称えるようになった。かくて天和三年幕府は命じて江戸大社の列に加え、牛込の総鎮守となる。


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