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ホテルニューオータニのある土地は近江彦根藩井伊家の屋敷跡地であり、桜田門外で水戸浪士に暗殺された井伊直弼の屋敷でもあった。
参考:豪徳寺、井伊家菩提寺、
大政奉還と共に大名屋敷は明治政府のものとなり、伏見宮邸となったが、戦後の日本国憲法による華族制度の廃止と共に、華族は一般の市民と同様の生活をすることとなり大邸宅を維持することが出来ず、当時圧延ロール、圧延鋼材、棒鋼、型鋼を製造していた大谷重工のオーナーであった力士出身の大谷米太郎に買い取られた。
ヒルトンホテルがこの地に目を付けて大谷米太郎に買い取りを打診したことから、大谷米太郎はホテルに向いている土地であることを理解し、東京オリンピックに合わせてニューオータニを設立したことは有名。
当時大手のホテルは国鉄(JR)主要駅の前にあり、駅より何分かが決め手であったが、主要駅より離れた赤坂で、しかも赤坂から当時の本館までタクシーで行かなければならないこの地がホテルに向いていることを理解したヒルトンホテルと、この地が本当に理解されるまでには時間が掛かり、その間にホテルを維持・発展させてきたニューオータニに感心させられる。
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