この大仏像は七百余年前の造立で阿弥陀仏である。僧浄光が民間に資金を勧進して造立された。最初は木造で暦仁元年(1238)に着工し寛元元年(1243)に完成したが、宝治元年(1247)の大風で仏像も殿舎も破壊されたので、今度は青銅の大仏を鋳造せんとして建長四年(1252)に工を起し仏像も殿舎も数年で完成した。鋳工として大野五郎右衛門の名が寺伝にあり丹治久友の名が他の記録に知られるのみで原型作者は不明である。総高(台座共)13.35米、青銅仏身11.312米、重量121噸(鎌倉大仏殿高徳院資料より)
これだけ大きな大仏であるだけに廃仏毀釈の難はあってもなんらかの書き物に残されて伝承されてしかるべきと思われるが、大仏造立の詳細な経緯は分かっていない。
ちなみに、奈良東大寺の大仏は、743年になり聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、752年に開眼供養が行われた。像高14.98M、台座の高さは3M、行基が聖武天皇より大僧正として迎えられ工事が行われた。この大仏・大仏殿の建立により多大な国費が浪費され国の荒廃を招く原因になったと言われる。
同じ地域: 鶴岡八幡宮、銭洗弁財天(宇賀福神社)、大仏(高徳院)、
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