日比谷交差点には晴海通りと日比谷通りとの交差する標識が建てられており、お濠に沿った日比谷通りを進むと東京駅方向になる。
徳川家康が江戸開府の為に江戸城の大改築を始めた頃にはこの辺まで海岸線が迫っていたことが帝国ホテルの角に説明されている。
約四百年前まで、このホテルの玄関の辺りは日比谷入江と呼ばれる海岸線でした。日比谷入江の南北の範囲は現在のJR浜松町駅あたりから日比谷公園、皇居外苑、そして大手町まで続き、一方東西は帝国ホテルの前の日比谷公園を隔てて、外務省などが立ち並ぶ「桜田通り」の西側まででした。
17世紀の初め、徳川幕府は江戸城(現在の皇居)を大規模に拡張するため入江の埋め立てと、そこに屋敷を建てて住むことを全国の大名に命じました。
埋め立てられた入江のうち、愛宕下(あたごした)−今の港区内−から丸の内までの範囲は、多くの大名屋敷が集中していたため、明治維新までの260年間にわたって「大名小路(だいみょうこうじ)」と呼ばれました。−−−−−−
参考:「日比谷入江と大名小路」、「日比谷入江と神田川」、「八代洲河岸とヤン・ヨ−ステン」、
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