八重洲通、中央通交差点で八重洲通を左折すると写真正面の東京駅八重洲口へ。
ヤン・ヨーステン 1557頃−1623 1600年(慶長5年)、オランダ船リーフテ号でウイリアム・アダムスらと豊後に漂着した。そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目についた。彼の江戸屋敷は現在の和田倉門−日比谷間の内濠の沿岸に与えられ、この地が彼の名にちなんで八代洲河岸(やよすがし)と呼ばれて、明治まで続いた。現在は中央区の八重洲としてヤン・ヨーステンに因む地名が残っている。
(八重洲通りヤン・ヨーステン像説明内容より)
:神田川と仙台堀、日比谷入江と大名小路、日比谷入江と神田川、「八代洲河岸とヤン・ヨ−ステン」、徳川家康江戸到着当時の地形と現在の地図との比較、外濠:外堀水面の高低差、江戸城外堀跡(市ヶ谷濠)、鍛冶橋交差点、
八重洲通は東京大空襲で壊滅的な打撃を受けた東京の復興を願って計画した復興計画により建設された100M道路の一つになる。
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