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市ヶ谷駅-外堀通り-四谷駅
B江戸城外堀跡(市ヶ谷濠)



外濠は弁慶濠(赤坂見附)、真田濠(上智大学近く)、市ヶ谷濠(市ヶ谷)、新見附濠(市ヶ谷、飯田橋の中間)、牛込濠(飯田橋)と続き、飯田橋からは神田川が外濠に代わり江戸城の守りになっている。

国史跡江戸城外堀跡(市ヶ谷濠地区)
牛込門から赤坂門に続く江戸城外堀は、寛永13年(1636)に3代将軍徳川家光の命により東国の大名52家が分担して開削したものです。この部分の外堀は、起伏のある山手の地形を巧みに取り入れ、北側の牛込から市ヶ谷附近では神田川から延びる谷筋を、南側の食違(弁慶濠と真田濠との間にあった江戸城の食違門)から赤坂門にかけては溜池から延びる谷筋を利用しています。しかし、市ヶ谷から食違附近、現在の外濠公園から上智大学真田濠グランドの一帯は高台となるため、最大13メートルの地面を掘り下げています。そして、掘り出された大量の土は、周辺の谷に運ばれ武家地や町地の造成に利用されたと考えられます。この土木工事はすべて人力で行われましたが、堀工事の約1/7を分担した仙台藩伊達家では、5700人の人足を動員した記録が残されています。現在も残る江戸城外堀跡は、江戸幕府が諸大名を動員して行った一大土木工事を物語る貴重な遺構です。  新宿区

外濠:外堀水面の高低差江戸城外堀跡(市ヶ谷濠)鍛冶橋交差点神田川と仙台堀日比谷入江と神田川徳川家康江戸到着当時の地形と現在の地図との比較徳川幕府と東京江戸城外堀全体図

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