国士舘大学の角を右折すると若林公園があり、その次が松陰神社になる。
松陰神社案内
由緒:松陰先生は天保元年(1830)8月4日長門の国(山口県)萩において、藩士杉百合之助常道の次男として生まる。名は矩方、通称寅次郎、字名は松陰、二十一回猛士と号す。
松陰先生5歳のとき、世々山鹿流兵学師範の吉田家を嗣ぐ。つとに尊皇攘夷を唱え憂国の志甚だ深く、海外に航して宇内の形勢を究めようとしたが果せず、松下村塾にて家学を教授し、維新の大業を翼賛した俊秀の青年多数ここより輩出した。明治維新の先覚の士、松陰先生の愛国の至誠は、独り日本人のみならず広く世界の人々の敬仰するところである。
「親思ふ こころにまさる親ごころ
けふの音づれ 何ときくらん」
安政6年(1859年)10月27日安政の大獄に連座し、江戸伝馬町の獄中で刑死、後千住小塚原に葬られた。(享年30歳)
松陰神社掲示より
参考:松陰神社境内、松下村塾、境内の石灯籠、吉田松陰墓所、
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