明治屋のビルを通り過ぎると前方に首都高速が見えてくるが、この首都高速は東京オリンピックの前に京橋川を埋め立ててその上に建設したもので、銀座と京橋との境界になる。
首都高速の手前には京橋と京橋川についての解説がなされている。
京橋川は家康の江戸入り後、慶長年間(1596−1615)に行われた最初の天下普請で外堀とともに開削された水路であるとされる。比丘尼橋と中之橋間の左岸には薪河岸、中之橋と京橋間の左岸には大根河岸、京橋と白魚橋間の左岸には竹河岸、右岸には白魚河岸があった。
この様に京橋川により薪や大根などが船で運ばれて来て、この周辺に陸揚げされ盛んに取引が行われたことが分かる。なお、京橋は日本橋より京都に向かう最初の橋であった為に京橋と呼ばれた。
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