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増上寺-大門・浜松町

B増上寺大門




大門をくぐりぬけてふりかえると正面に増上寺と掲げられているように大門は増上寺の表門になる。大門駅はこの門をくぐりぬけた一つ先の交差点にある。大門交差点への途中左手には芝大神宮への参道がある。

町火消の創設、芝大門振興会、
享保2年(1717)二月三日、将軍吉宗は大岡越前守忠相を江戸の町奉行(現在の自治、司法、厚生などから経済流通、裁判官、警視総監、消防総監と広い範囲の行政を担当)に起用し、江戸の市政にあたらせることにした。

町奉行となった大岡越前守忠相は、防火対策の強化を図り、町火消を創設しこれを確立することに努めた。

享保3年(1718)九月、町奉行から町名主に対して防火策について諮問があり、これに対して町名主たちは、町火消組合の創設を答申した。この答申に基づき幕府は、次のような触書(現代文に置き換えた)を出して消火活動に町人を積極的に活用する方針を打ち出した。

「風の烈しいときには商売道具などをしまっておき、もし出火したときには火元から風上2町、風脇左右2町ずつ計6町が、1町につき30人ずつ人を出して消し止めること。小家などこれに類するものは引き壊して(破壊消防)、消し止めることを申し付ける。梯子、鳶口、斧、細引きなどは手近なところに置き、出火場所に持っていくこと。駆け付けが遅い者は調べて急ぐよう申し付けること」

などと、火災の際1町につき30人が火災現場に駆け付けることを義務付け、出場人員が少ないときは取り調べを行うなどという、火災に対する、町奉行の強い決意を示した。

大岡越前守忠相は、前記の触書をだしてから五ヶ月後の享保三年十二月四日に、町々の名主を番所に集め火消組合を作ることを命じた。「町火消の誕生」である。

監修 社団法人江戸消防記念会

参考:町火消の誕生伝法院通りの半鐘回向院


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