中華街へはみなとみらい線元町中華街駅より歩いていく方法が近いが(参考:MM中華街)、JR石川町より元町のショッピングストリートを見た後で中華街へ行く場合は朱雀門(南門)を利用する。
横浜開港と中華街の形成(1859−1899)
幕末に日本が開国し、横浜の港がひらかれると、アメリカ・イギリス・フランスなど諸外国から大勢の商人が横浜を訪れ、外国人居留地として設けられた「居留地」に商館を開いた。彼らは横浜進出にあたり、中国人をともなってきた。中国人は漢字によって日本人と筆談できたため、西洋人と日本人の間にたち、生糸や茶などの取引の現場で不可欠な存在となった。
横浜と香港・上海の間に定期航路が開設されると、洋裁・ペンキ塗装・活版印刷などさまざまな新しい技術を身につけた中国人が横浜を訪れた。また北海道産のアワビやナマコなどの中華食材を香港・上海に輸出したり、台湾産サトウを日本に輸入する華僑貿易商が現れる。
明治初年には横浜の華僑人口は約1000人となる。彼らは居留地の一角、旧横浜新田を造成した地域に徐々に集まり住み、関帝廟、中華会館、劇場などを設け中華街を築いていく。−−−
横浜中華街発展会協同組合資料より抜粋
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