日比谷公園へは千代田線、日比谷線の日比谷駅より日比谷交差点の有楽門へ、都営三田線内幸町より内幸町交差点の幸門へ、丸の内線霞ヶ関より霞門へと各駅が利用出来る。
問合せ:03-3501-6428日比谷公園
数寄屋橋-日比谷(地下連絡通路)、有楽町-日比谷(地下連絡通路)A10またはA14出口より、
参考:日比谷入江
「駿河台」は元来、本郷・湯島台と地続きで、「神田山」と呼ばれる丘陵でした。江戸に幕府を開いた徳川家康は、新たな町づくりのため、この神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園、新橋周辺)を埋め立てました。しかし、埋立てによって平川(現・飯田橋付近から一ツ橋を通り、海に流入していたといわれている)の流れがとどこおり、下流で洪水が頻発しました。そこで、隅田川に通じ、江戸城の外堀の役目も果たす「神田川」が分流として開削されたのです。こうしてこの界隈は、本郷・湯島台と切り離され、独立した台地となりました。
元和二年(1616)、家康が駿府で没すると、家康直属の家臣だった旗本(駿河衆)がその任を解かれて江戸に戻りました。駿府から帰った駿河衆が、江戸城に近く富士山が望めるこの地に多くの屋敷を構えたことから、駿河台と呼ばれるようになりました。−−−−−(駿河台東部町会掲示より)
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