写真左手は新宿御苑の下をくぐる自動車専用トンネル。中心の建物(四谷区民センター)の右手を進むと新宿3丁目方向になる。
この建物の手前には玉川上水番所跡を示す石碑があり、「玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した」との説明がある。
また、この玉川上水番所に繋がる新宿御苑には下記の説明文が表示されている。
玉川上水は、江戸の飲料水を確保するために、玉川兄弟の手により承応3(1654)に開設されました。取水口である多摩川の羽村堰(羽村市)から四谷大木戸(現在の四谷四丁目交叉点附近)までの約43KMの区間は、土を掘りぬいただけの開渠で造られていました。四谷大木戸から市中へは、石や木で造られた水道管を通じて水を供給し、淀橋浄水場の完成した明治31(1898)頃まで、江戸・東京の人々にとって貴重な水資源でした。
新宿区には、四谷大木戸に水番屋があり浄水の管理を行っていました。また、四谷見附付近は、江戸城本丸、吹上御苑、市中の武家や町人の屋敷へ供給する分水の分岐点となっていました。これらの地域は上水管理の上で、大変貴重な役割を持っていたことがわかります。
玉川上水:玉川上水、境橋、玉川上水、玉川上水番所跡、駒沢給水所、千川上水:千川上水、
また、この地は四谷大木戸跡でもあり、甲州街道を通行する旅人に対する関所跡地になる。参考:甲州街道は日本橋より日本橋交差点を西に折れて皇居の南側を通って四谷見附経由新宿通りで新宿へ、日本国道路原票、麹町大通り(新宿通り・甲州街道)、四谷4丁目交差点、新宿追分、
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