神田上水は、江戸で最初に設けられた水道で、江戸時代初期に大久保藤五郎(内田六次郎ともいわれる)によってひかれたと伝えられる。井の頭池を水源とし、神田川を経て、江戸城をはじめ神田・日本橋・両国・永代あたりまでの地域に上水を供給した。水道の水は、はじめ小石川目白台下の堰に取り入れられ、御茶の水に至って掛樋で神田川を渡し、その先は暗渠で江戸城内に入った。この掛樋は万治期(1658−61)に設けられ、その後、その隣にあった橋が掛樋にちなみ俗に水道橋と呼ばれた。(館内掲示より)
発展する江戸へ水を供給するために、更に多摩川より羽村堰により取水され、玉川上水が造られた。その後玉川上水は上保谷新田にて玉川上水と千川上水に分水されている。
神田上水:神田上水と芭蕉、神田上水取水口大洗堰跡、神田上水(江戸東京博物館)、木樋、神田川:神田川と仙台堀、日比谷入江と大名小路、日比谷入江と神田川、神田川と隅田川、
|