等々力渓谷の周辺では野毛大塚(玉川野毛町公園内)、御岳山、狐塚などの古墳群が造られた後、古墳時代末から奈良時代(7−8世紀)にかけて横穴群が造られるようになります。等々力渓谷横穴群は野毛地域の有力な農民の墓で、これまでに3基の横穴が調査され、現在は3号横穴が完全な形で残っています。横穴は谷間の崖地に横に穴を掘って造られていて、玄室と羨道で構成されています。泥岩の切石でふさがれた玄室の床には河原石が敷かれ、3体の人骨とともに1対の耳環(イヤリング)と土器が副葬されていました。その前面には斜面を切り通して造られた墓道が延びています。ここには土器が供えられたり、火を焚いた跡があり、墓前祭が行われたことがわかります。世田谷教育委員会
参考:東京の古墳としては芝公園内の丸山古墳、田園調布に近い亀甲山古墳、があり、両方ともに前方後円墳で等々力渓谷の横穴古墳、より前の古墳時代に造られたものになる。
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