三渓園は、生糸貿易で財をなした横浜の実業家原三渓(本名:富太郎)の元邸宅。彼は、ここに京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、明治39年(1906)年”三渓園”として一般に公開しました。175,000M2(約53,000坪)の園内には、10棟の重要文化財を含む17棟の古建築物が四季折々の自然の景観の中にたくみに配置されています。第2次世界大戦では大きな被害を受けましたが、昭和28年(1953)年原家から財団法人三渓園保勝会の手に移されたのを機に復旧工事が行われ、5年後にはほぼ昔の姿をとりもどしました。(三渓園保勝会パンフレットより)
移築された建物は園内の樹木に溶け込んで、日本的な美しさを季節の移り変わりと共に見せてくれる。特に紅葉の時期には臨春閣、聴秋閣周辺は緑・黄・紅の木の葉が織り込まれて造園の見事さを実感させる。
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