徳川家康は幕府教学の準拠を求め儒学者林羅山を登用し、その後5代将軍綱吉は上野忍岡にあった林羅山邸内の孔子廟を1691年にこの地に移すとともに先成殿を大成殿と改称し孔子像と四賢像を安置した。寛政の改革で知られる老中松平定信は、1797年、忍岡以来の林家の塾を切り離した幕府直轄の昌平坂学問所(孔子の生誕地昌平郷が名前の由来)を開設した。(文京区文京観光スポットより抜粋)
昌平坂学問所はその後明治維新にいたるまで70年間官立の大学として江戸時代の文京センターの役割を果たした。明治維新により、聖堂には文部省、国立博物館、東京師範学校(筑波大学)、東京女子師範学校(御茶ノ水大学)が置かれるなど近代教育発祥の地となった。(湯島聖堂掲示板より)
徳川綱吉関連:湯島聖堂、儒教の奨励、増上寺、徳川歴代将軍および綱吉の母の墓、徳川将軍家墓所全体、護国寺の建立、小石川植物園、綱吉の下屋敷に薬園を設置、中野犬屋敷跡、
お茶の水(JR)、新御茶ノ水(千代田線)、小川町(都営新宿線)、淡路町(丸の内線)地下出口、B2番出口より、
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