中野区役所の左手には様々な犬の像が配置されているが、この付近一帯は徳川五代将軍綱吉の時代(1695年)に作られた「犬屋敷」があった。(東京セントラルライオンズクラブ掲示より)
犬屋敷は広大な面積を持ち現在の警察学校跡地を中心に、北は早稲田通り、南は中央線の線路を越え、西は環状7号線近く、東は現在の中野ブロードウェイまで広がっており、29万坪あったと言われ、犬の収容数は10万匹とも言われている。
徳川綱吉は儒教を基にした教育の普及を行い、その後の徳川幕府の長期安定政権としての基礎を築き、藩校が多数出来て日本人の教育レベルを上げた功績があるが、飢饉に苦しんだ庶民が更に「生類憐みの令」により苦しんだ状況に疎い問題がある。これに対して「目安箱」を設置して庶民の状況を自ら把握して善政を布いた徳川吉宗は名君であったと言える。
徳川綱吉関連:湯島聖堂、儒教の奨励、増上寺、徳川歴代将軍および綱吉の母の墓、徳川将軍家墓所全体、護国寺の建立、小石川植物園、綱吉の下屋敷に薬園を設置、中野犬屋敷跡、
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