鳳明館より一旦菊坂に戻り、右折して菊坂下交差点へ。菊坂下交差点を左折して白山通りまで進む。白山通りを右折して進むと右手に有名な洋服チェーンの店舗があり、樋口一葉終焉の地の碑はその前に建っている。
樋口一葉終焉の地
−−−−父の死後戸主になった一葉は、明治23年(1890)9月本郷菊坂町(現・本郷4丁目31・32)に母と妹との3人で移り住んだ。作家半井桃水に師事し「文学界」同人と交流のあった時期であり、菊坂の家は一葉文学発祥の地といえる。
終焉の地ここ丸山福山町に居を移したのは、明治27年(1894)5月のことである。守喜という鰻屋の離れで、家は六畳二間と四畳半一間、庭には三坪ほどの池があった。この時期「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「ゆく雲」など珠玉の名作を一気に書き上げ、”奇跡の2年”と呼ばれている。「水の上日記」「水の上」などの日記から丸山福山町での生活を偲ぶことが出来る。文京区教育委員会
樋口一葉が作家として認められて生活も豊かになった時代になるが、この幸せであった期間は短くわずか2年でその生涯を終えている。
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