グランドプリンスホテル赤坂と清水谷公園は徳川御三家の一つである紀伊和歌山藩の屋敷であったが大政奉還と共に大名屋敷は明治政府のものとなり、伏見宮邦家親王の第13皇子である智成親王が創設した宮家である北白川宮邸となった。
日清戦争が始まる前に日本は防衛線として朝鮮を重視、朝鮮との友好関係を維持するために朝鮮最後の王朝である李王朝へ梨本宮家出身の梨本宮方子が嫁し、北白川宮邸は李王家の邸宅となった。
李王家:14世紀に高麗を倒して朝鮮の王家となった。明治43年の日韓併合に伴い昌徳宮李王として皇族となったが、昭和22年の日本国憲法により皇族制度は廃止された。
この旧李王家東京邸(現在のグランドプリンスホテル赤坂別館)は現在の宮内省になる内匠寮の設計になるもので、東伏見宮邸、秩父宮邸、高松宮邸、浅香宮邸(東京都庭園美術館)と同じ設計思想に基ずいて造られ共通点が多々ある。参考:旧李王家東京邸、東京都庭園美術館
その後、軽井沢、箱根の開発を推進する西武グループに買い取られ、プリンスホテルグループの一つになり、現在のグランドプリンスホテルにつながっている。
グランドプリンスホテル赤坂は国会から近いこともあり、国会議員の打ち合わせ場所としても使用されているが、徳川幕府、明治政府、第2次大戦を経て現在でも国政に関する重要な議論がなされていることを考えるとこの地の重要な意味合いが感じられる。
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