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中野セントラルパーク
(四季の森公園)





中野を見れば日本が分かる:中野の警察学校跡地の再開発により、この地には何があったのか、新たに災害対策を考慮した公園造りとは何か、学生が定員割れを起こしている現在に各大学が校舎を新設した理由を考えると今後の大学の在り方が分かる。

警察学校跡地の再開発が終り、現代的な公園を中心とする大学や大型オフィスが造られたが、この地域には数々の歴史がありその過去を振り返ることは重要と思われる。

犬屋敷:コ川5代将軍綱吉の時代には犬屋敷が造られて早稲田通りから環状7号線まで一帯に犬が数万頭収容されていた。その歴史を思い起こせるように中野区役所前には数匹の犬の像が残されている。

陸軍中野学校:帝国陸軍により昭和13年に創設された諜報活動要員養成学校。昭和15年には陸軍中野学校に名前が変わり戦時中に中野と言えばスパイ学校を意味していた。数多くの卒業生を出したが1945年3月の東京大空襲により群馬県へ移設されて中野は使用されなくなった。卒業生の中には戦時中敵の内部を混乱させる為に、植民地となっていたインドやビルマの独立に協力した者もいた。これは日露戦争当時にロマノフ王朝を倒す為に日本がロシア革命軍に協力したことでロシア内部が混乱して日本が勝つことが出来たことに学んだ為と言われている。同様なことは常に行われておりシリアの内戦における米国とロシアの関係を想起させる。

アメリカの憲兵隊:戦後アメリカが日本に上陸後、中野学校跡にはアメリカの憲兵隊がいて駐留軍の警察としての役割を担っていたが、この時期にはまだ陸軍中野学校時代の通信用アンテナが林立していて憲兵隊が中野学校跡にいる間に何をしていたかは容易に想像がつく。この結果により日本に於けるその後の諜報戦の方向付けがなされた可能性は充分にある。

警察学校:アメリカの憲兵隊が撤退した後に警察大学校、警視庁警察学校になったが、これらの警察学校は2001年に府中へ転出した。

現在でも日本による諜報活動は行われているが、誰がどのように行っているのか、中野を見れば日本が分かる。


@セントラルパークへのブリッジ
Aセントラルパーク方向のビル群
Bセントラルパーク、サウスビル、イーストビル
C平成帝京大学中野キャンパス
D明治大学中野キャンパス
E早稲田大学(中野国際コミュニティプラザ)



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