東京大空襲:
1944年11月から1945年5月にかけて東京への空襲があり、特に1945年3月10日の空襲は被害が大きく、この日を東京大空襲と呼ぶ場合もある。特に江東地区の被害が大きくこの1日の死亡者数は7万6千人になる。1945年3月から5月にかけての空襲で首都東京は廃墟となり、東京大空襲による死亡・行方不明者は10万人以上と言われ、被災者数は100万人を超すとの調査結果がある。
米軍機は3月9日夜東京に飛来したが、一旦房総沖に行った為に警戒警報が解除され、3月10日0時7分に爆撃が始まった。警戒警報が出されたのは爆撃が開始された8分後で、軍も市民も油断を突かれたことで被害は一層拡大した。
米軍は関東大震災の被害を詳細に調べて強風の日、火災被害の大きくなる地域などを狙った為に、被害の大きかった地域が本所や深川など関東大震災と重なる地域が多い。関東大震災と同様に隅田川に逃げ込んだ人々は火災旋風により焼死、冬季の気温から凍死する人々も多かったと言われる。
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